
1953年(昭和28年)「城西南地区開発趣意書」として発表したもので、その中身は「1.東京都の西南地区に660ヘクタール(約200万坪)を買収して住宅地を開発する」「2.その地域の交通動脈として高速専用道路をつくり、バスを走らせる」という壮大なプロジェクトの概要でした。折しも日本経済は戦後の混乱から復興への転換期にあり、人口の都市集中により、東京の住宅不足が極限の状態を迎えていた頃でした。
やがて開発構想は、数度の見直しを経て、規模を1650ヘクタール(500万坪)に拡大、交通手段を高速道路から鉄道へと変更し、空前の土地区画整理事業がスタートするのです。

多摩田園都市の開発は鉄道新線の敷設と一体となって進められ、1966年の東急田園都市線「溝の口~長津田」間の開通にはじまり、1977年には、新たに開通した地下鉄新玉川線によって多摩田園都市と東京都心が結ばれます。
開通した当時の路線図には「たまプラーザ」の駅名はなく、開発が進むにつれ、この地域が多摩田園都市の中心と見なされるようになると、「たまプラーザ」という名称が用いられるようになります。「プラーザ」とは「広場」を意味するスペイン語です。多摩田園都市のシンボルを担うにふさわしい、駅前広場を中心として発展する街への願いが込められていたのです。
街の中心部に商業施設を集約し、その外側に住宅地を配置することで、都市機能と豊かな自然を共に享受しうる希少な住環境を創出します。駅を起点に放射状に伸びる道路にはケヤキや桜をはじめ、樹木が計画的に植栽され、さらには歩行者専用の道路を設けています。豊かな葉を生い茂らせる街路樹を抜け、広々とした公園の脇をバスが走る風景は、田園都市の理想が息づく街にふさわしいのびやかな日常のワンシーンです。
幾度の変化を繰り返してきた都市空間がある一方、土地本来の自然に寄り添う住宅エリアでは、美しい街並みとくらしの本質が静かに受け継がれてきました。それは、知的と品性を備えた街並づくりの賜物です。
そして今たまプラーザでは、駅前の商業エリアと住宅エリアの双方において、大規模な開発プロジェクトが進行中です。たまプラーザ駅の開業から約40年、多摩田園都市のシンボルであり続けたこの街は、さらなるステージに向けて、より崇高な理想を高らかに掲げます。

自然との調和が美しい、洗練された街並み。そんな、心地よい環境に抱かれつ東急田園都市「たまプラーザ」駅周辺では、現在、大規模な開発計画が進行中です。そこには、「ライフスタイル・コミュニティ・センター」をコンセプトに掲げた多彩な店舗が出揃う、駅一体型の商業施設が誕生。
さまざまなライフスタイルの実現を支援する場として、また新しいコミュニティやコミュニケーションが生まれ育っていく場として、多くの人々から期待を寄せられています。
